Life Report<ある日の出来事>


10月のある日、僕と妻はリフォームの終わった部屋に置く、ソファを探しに出かけた。

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 僕達は会社の社宅に住んでいる。家賃がすごく安いので文句は言えないのだが、まあ古くて汚い部屋だ。床が学校の教室の床みたいだったり(隙間にたまったごみをほじくり返すとシャープペンの心が出てくる)、ふすまの立て付けが悪かったり(勢いをつけて開けようとすると開くのではなく、取れる)。よく言えばレトロ。だけどおしゃれではない。椎名林檎さんのPVに出てくる部屋というよりも、どちらかというとドリフのセット。

 そんな我が家がリフォームされることに決まったのは、正確には覚えていないけど、この年の夏頃だったと思う。会社の予算が何かの拍子にぽんとついたのだろうか。部屋の古さに少なからず不満を持っていた僕達にとって、リフォームの話は朗報だった。

 一ヵ月後の完成を待つため、僕達は少し離れた別のドリフのセットへ一時的に引っ越すことになった。この時点ではこの先当分の間、この社宅に住むつもりだったのだ。そうでなければわざわざ二度の引越し(一度出て、また戻って)をしたりはしない。その部屋に置くためのソファを探しに行ったりもしなかっただろう。僕達はそうとうに面倒くさがりなのだ。

 その日、僕達は家具屋を何軒か回って、リフォームの終わった部屋に置くソファを探していた。正直に言ってどれも同じように見えたのだが、その中でもまあ妥当だろうという感じのものを一つ選び、二人で掛けてみた。確か白くて、やわらかくも硬くもないソファだったと思う。はっきりとは憶えていない。まあ、そのくらい特徴のないものだったのだろう。実のところ僕は消極的だった。うむ、あまり欲しくない。

 そんな「妥当だけどあまり欲しくないソファ」に二人で掛けながら、僕は妻に話した。
「一生あの部屋に住むわけじゃないんだからさ、できるだけ荷物は増やさないほうがいいんじゃないか。」

 いつかどこかでお店を開きたい、という話は結婚する前からちょくちょく話題に上っていた。だけどそのための資金もないし、今の仕事もお互いある程度安定している。どうも一歩を踏み出そうという気にはならなかったのだ。ところがこの日、どこかの特徴のない家具屋で、少し疲れた僕が妻にソファをあきらめさせようと発した言葉が、予想もしない自体を招いた。

「それってあの部屋をでようってこと」妻の語気がなぜか強い
「うむ」
「・・・」
「まあ、いつかは、ね」僕は既に弱気だ
「いつよ」
「はっきりとはわからないよ。ただこの先どこに移るにしても荷物は少ないほうが身軽でいい。」

 僕は戸惑いながらも「向こう側」に憧れていた。小さく開いた堰の穴に水流が集中し、やがて大きな目に見える穴に成長していくのが見えた。

「じゃあいいわよ、ソファなんて買わなくって」
堰が崩れる。やばい、なにか言わなきゃ

「どうだろう、このまま地道に貯金していてもらちがあかないんじゃないか。いっそ始めてしまうというのは。」仕事辞めてお店開くって計画、始めちゃってみてはどうか。いや、始めちゃおう。」
 どこかで夫のプライドみたいなものが作用したのだろうか。こうなったら言ったもん勝ちだ、と思いこみ、言っちゃってみた。

「いいよ」
あらま意外と妻も乗ってきちゃった。

 向こう側にあるはずの自由を夢見て、すっかり振りきれた夫と、なぜか強気に乗り気な妻。完璧にいかれた夫婦だ。

 この日のこの瞬間こそが、僕達にとって崖の先端から一歩を踏み出してしまった瞬間なのではないかと思う。この時を境に、僕達はそれはもう加速的にこの話を進めていった。


 


イス 那覇
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